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AIに小説を書かせるな、編集をさせろ
星新一賞で受賞4作中3作がAI執筆と判明。一方、芥川賞作家・九段理江はChatGPTを「別の編集者」と呼んだ。同じ「AIを使った」と括られる中身は違う。将棋の共存モデルから、作家がAIとどう向き合うかを考えます。
AIに書かせること、AIに編集させること。
このふたつを、同じ言葉で語るのはもうやめるべきなのではないでしょうか。
2024年1月、九段理江が『東京都同情塔』で第170回芥川賞を受賞したとき、彼女は作品の一部に生成AI(ChatGPT)を使ったと公表しました。
このニュースは議論を引き起こしましたが、否定的な論調は当時それほど多くなかったと私は記憶しています。「一部でもAIを使ったのなら、それは作者の作品と言えるのか」という声もありましたが、どちらかというと「AIがもうそんなに高性能になっているのか」という驚きが多かった印象があります。
2025年、小説投稿サイトでAIが書いた作品がランキング上位に入り、騒動になりました。運営はAI使用作品へのタグ付けルールを整備し、読者側でフィルタリングできるようになりました。
そして2026年4月、日経「星新一賞」(第13回)の一般部門で、受賞した4作品のうち3作品が生成AIを使って書かれていたことが明らかになりました1。審査員たちは「人間が書いた作品か、AIが書いた作品か、まったく区別がつかない」と発言し、審査員のひとりは 「AIの書いた文章はもう読みたくない」 と次回からの選考委員辞退を表明。事務局では、人間のみが執筆した作品を対象とする 「人力小説部門」 の新設が議論されているといいます。
投稿された作品がAI製ではないかという目でまず見られる空気が、コミュニティに広がっていきました。
しかし、同じ「AIを使った」と括られてきたこの2つは、よく考えると九段理江と、星新一賞の受賞者たちがしたことは、実はまったく違うものです。
インタビューで九段理江はChatGPTを 「別の編集者」 と表現しています2。新しい語の提案を求めたり、編集者からの指摘をどう解釈するかを相談したり。作者としての判断は自分に残したまま、AIを対話相手として使っていた。一方で「執筆のほぼすべてをAIに任せる」使い方もある。
このふたつを「AIを使う」という言葉で括って同列に語ることはできません。
AIの何が問題なのか
AIが小説を書くことへの不快感・警戒感を分析すると、いくつかの典型的な議論が見つかります。
- オリジナリティの不在 — 学習データから確率的に生成しただけで、オリジナルな作品と言えるのか
- 作者は誰なのか? — プロンプトを書いただけで作者と呼べるのか、それともAIが作者なのか
- 市場の破壊 — 作者の時間・努力を払わずに大量生成された作品が市場を荒らす
これらはAIに肯定的な人でも、ある程度は賛同できる主張ではないでしょうか。今後あらゆる文学賞の受賞者が「実は全てAIが書いた作品です」と後出しで発表したら、もしくは読者の知らぬままに本屋に置いてある小説が全てAIに生成させたものになり人間の作家たちが廃業に追い込まれたら、と考えると良い気持ちにはなりません。
しかし整理して考えると、これらの問題は「人間が書いた小説」が前提となっていた分野に、断りなく「AIが書いた小説」が侵入してきたという、泥棒が急に家にやってきたような単純な不快感なのではないでしょうか?
「人間が書いた小説」、「AIが書いた小説」そして「AIの助けを借りながら人間が書いた小説」、これらが棲み分けていけばいいのではないでしょうか。
私がそう確信しているのは、もう十年ほど前にAIが人間を遥かに超えていった将棋の世界で、人間とAIの棲み分けが上手くいっているのを観察してきたからです。
将棋界:AIと人間の共存
2017年、将棋AIが当時の名人に二連勝、それも圧勝したというニュースは、大きな衝撃として受け止められました。「人間の棋士はもう要らなくなるのではないか」「将棋というゲームの価値が失われるのではないか」と今後を憂う声もありました。
それから10年経った将棋界は、どうなっているでしょうか。
棋士たちはAIを研究道具として使っています。次の一手を考えるとき、ソフトに盤面を解析させ、人間には気づけなかった手筋を学ぶ。対局そのものは人間が人間として指す。しかしその準備には、AIは深く組み込まれています。
AI同士が対局する Floodgate というサーバーもあります。24時間、将棋AIが互いに対局し続けていて、それを観戦している人も一定数いますが、人間同士の対局のような人気はありません。結局のところ、人間同士の対局を超えるような魅力はないのでしょう。
つまり将棋の世界は、「AIは人間より強い。それはそれとして、人間は人間として指すし、AIは研究道具として使う」 という落ち着きどころを、この10年かけて見つけてきました。AIが指すことと、人間が指すことが、別のものとして併存しています。
小説の世界は、いまその問いの入り口に立っているのではないでしょうか? AIが書いた作品、人間が書いた作品、そしてAIを道具として使いながら人間が書いた作品。まだ棲み分けできているようには見えません。
AIに小説を書かせるな、編集をさせろ
この先例から学べることはあるでしょうか?それは「AIに小説を書かせるな、編集をさせろ」だと私は思っています。
先に断っておくと、タイトルをキャッチーにするために強く書きましたが、AIに小説を書かせるのが悪いことだとは思っていません。むしろ星新一賞は「人力小説部門」ではなく「AI小説部門」を作るべきだと思っています。何作品でもアップロードできて、審査も自動でAIが全て行う部門です。審査基準だけは人間が作ることになるでしょう。
しかし現状そのような棲み分けがされていない中で、どうやってAIを活用すべきかと考えると、それはシンプルに「編集をさせろ」に尽きるのではないでしょうか。
「編集」と「執筆」、AIと人間
プロの作家には、多くの場合、編集者が付きます。
編集者には多くの仕事がありますが、作品に対してするのは、例えば次のようなことです。
- 作家とともに構想を練る
- 原稿を読んで、感想・批評を返す
- 構造や文章の改善を提案する
編集者は書いていません。 編集者がやっているのは「書かれたものを、読んで返す」という行為です。作家と編集者は、はっきりと異なる役割です。
ここでAIの話に戻ります。
九段理江がAIを使ってしたことは何でしょう。新しい語の提案を求めたり、編集者からの指摘をどう解釈するかを相談したりしたそうです。それはまさに「編集」の役割の一部をAIに担ってもらったということですね。
ではAIに小説を書かせる人がしていることは何でしょうか?「こういう小説を書いて」と指示を出し、AIが書いた小説にコメントをして修正させる。——もう明らかです。ここでは人間の役割が、作家から編集者に入れ替わっているのです。その小説を文学賞に応募したらどうなるか。作家と編集者が競い合っている、というおかしな状態になってしまう。
これが私の主張です。作家はAIを編集者として使うべきであり、AIに文章を書かせるべきではない。
この記事のタイトルを書き直すと、「あなたが作家なら、AIに小説を書かせるな。編集をさせろ」ということです。逆に言えば、あなたが編集者(を目指している人)なら「AIに小説を書かせろ」とも言えます。
AIに対する不安や警戒心は、単に棲み分けができていないだけです。正しく使えば、便利な道具であることは間違いありません。
AIに編集をさせるときに、守っておきたい3つのこと
ここでひとつ補足させてください。AIが編集者の役割を担えるという話は、人間の編集者がいらなくなるという話ではありません。人間の編集者には、AIには代替できない仕事があります。AIは 人間の編集者の代わりではなく、その手前にもうひとつ置かれる、いつでも気軽に使える相談相手 です。
そのうえで、AIを編集者として使うときに自分が守っている条件を3つ挙げます。
- 議論をする — 今考えていること、疑問を何でもAIに聞きます。
- 答えを求めない — 文章を書いてもらっても構いません。ただそれは参考にするだけです。
- 判断は自分で — AIの指摘を鵜呑みにしない。取り入れるかどうかは自分で決めます。
AIは相手の意見を引き出すのが上手です。答えを押し付けるのでも、答えを聞くのでもなく、自分の中にあるアイデアを一緒に見つけ出す。そういう意識でAIを使うと、上手くいきます。
この3つを守っている限り、AIに頼んでいるのは編集の仕事であって、「書かせている」ことにはなりません。文章を書く楽しさも変わりませんよ。
「AIを使った」と言える時代へ
「AIに書かせた」ではなく、「AIを使った」=「AIに編集をさせた」。この言葉が誤解なく受け止められるようになれば、作家もAIと付き合いやすくなるはずです。コミュニティも、「使った/使わなかった」の二項対立ではなく、「どう使ったか」で作品を評価できるようになるはずです。
AIに小説を書かせるな。編集をさせろ。
それは「作家」を名乗りたいのであれば、いつまでも変わらない条件でしょう。
宣伝:壁にぶつかって、アプリを作った話
ここからは宣伝です。
実際にAIをどうやって活用して文章を書くか、実践してみると今のツールではまだまだ難しいところがあります。特に長文を書こうとすると、問題が浮き彫りになってきます。
AIに自分の原稿を評価してほしくて、ChatGPTやGeminiに読ませようとすると壁にぶつかりました。原稿を丸ごとコピペして評価してもらう。修正点を指摘してもらって直してもう一度読ませる。すると、変更点を理解せずにまた原稿全体を同じように評価してくる。
これはほんの一例ですが、他にもいろいろ問題が起きました。章ごとに分けて見せると、前の部分を忘れている。書きかけの原稿を見せると、まだ途中なのに「結末が弱い」と言われる。書いている本の概要をいちいち説明しないといけない。「編集者」の水準には程遠く、ちゃんと反応してもらうための工夫で消耗してしまったのです。
それで作ったのが Core という macOS アプリです。執筆中の原稿ファイルをAIが勝手に全部読みに行き、こちらから説明する必要はありません。原稿のどの部分をコピペすればちゃんと反応してもらえるか考える必要もありません。AIが資料を捏造するのにも困っていたので、国会図書館のデータベースと連携して、確実に存在する参考資料を検索してもらう機能も作りました。
いつでも気軽に使える AI 編集者を、Core で試せます。macOS向け、14日間の無料トライアル付きです。
Footnotes
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出典: 日本経済新聞「AI小説、星新一賞を席巻 人間と区別つかず「人力小説部門」も議論」(2026年4月16日報道) ↩
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『東京都同情塔』九段理江 著、新潮社、2024年1月17日発売、第170回芥川龍之介賞受賞作。書誌情報および本文中で引用した著者発言の出典は新潮社公式書誌ページを参照。 ↩